心というインフラ

新政権による事業仕訳が世の中に好評だ。内容はともかくとして初めての試みは歓迎したいもの。私も当初は箱モノは要らない、それよりももっと雇用や医療や介護など人が生きるための事にもっと直接投資すべきだと思っていた。だからこそ時に文化人の反論が滑稽に見えた。彼らは日本の財務事情が分かっているのか、食べていくための収入がないのにどうして文化にお金が回るのかか、贅沢品から生活必需品にもっとお金を注ぐべきだと。しかし、ある時ふと思ったのである。食べる、着る、住む、衣食住だけで本当に人は生きているのだろうかと。過去を振り返ればつらかった時、楽しかった時が歌とともに蘇ったりする。歌という文化に勇気付けたりもした。『人は心で生きる、ならば文化という心のインフラに投資してもいいのではないかと』

評論家

評論家とは、辞書によると「自らは手を下さず、意見や批評を述べるだけの人」とあった。まさしくその通りと思う。毎日のように大して知識もない者がテレビや新聞で好き勝手に言っている。普天間の基地問題、景気対策、派遣や日航の存続、今後の税制、、、いったい貴方はどうしたらよいと思っているのか、それを言えないのに人ばかり、政党ばかり批判している。物事にはメリット、デメリットがあるもの。100%正解であれば誰しもそちらを選ぶだろう。少なくとも自分の意見を言えないのは情けない限りだ。おそらく意見を言ったとたんにその評論家が評論を受けるからであろう。もちろん中にはハッキリと主張する評論家もいる。その方々の勇気には敬意を表する。物事には論理があり、それが成立してこそ納得性がある。論理性は、主張と根拠から成り立つ。それを言えない者に存在価値を見出せないのは私だけであろうか。

意識改革

世の中で一番、難しいテーマは意識改革であろう。事業戦略、商品開発、システム構築などこの世に難しいテーマは様々あるが、最も難しいのはそれらをやり遂げる”人の意識改革”である。少しも報告をしてこない、身の回りの整理整頓ができない、時間にルーズ、、、、これら全ては人が成すもの。であればその人の意識次第と言える。能力よりも意識の差を問われるケースの方が断然多いはずである。よく年齢が50歳を過ぎるとなかなか性格は変わらないといった話を聞く。しかし、それはこれまでの人生で経験したことが固定概念となって謙虚さを失くしてしまい、その結果、素直に人の話に耳を傾けたり、基本に立ち戻れなくなったため、即ち、年齢ではなく、その人の意識の問題なのである。ところでこの意識とやらを変えるには、それなりのショック慮法しかないと私は思う。タバコを止めなければ貴方死にますよ、これがやれないとこの会社にいてもらう意味がないですね。このような聞き流せないようなショックを与えなければ人は決して変わらない。本人が気づいて自ら変える(自己改革)にこしたことはないが、それが出来ないのであれば、上司が愛情持って厳しく言うことである。部下の意識を変える、高いレベルで維持させることこそ上司本来の仕事である。そのように考えてくるとその前にまず、上司自身の意識改革が必要になってくるのだが。