成果

ビジネスの世界で仕事をしていくからには、大事なのは「成果」、それしかない。学生の時代までは努力していく過程が大事と教えられ、テストや運動会などでは順位をつけることさえ避けれらてきたが、いよいよそのような世代が今、続々と社会に入ってきている。
ところで中に評価ばかり気にする若者がいる。その割に努力する気配は見当たらず、何かと人や世の中のせいにする。残念ながら年功序列が崩れようとする今、早期戦力の者以外は転職の度にステージアップどころか以前より処遇の悪い企業を転々とする悪循環のシナリオに陥っていく。すべてとは言わないがそのようなケースをこれまで数多く見てきた。
はっきり言うが、大事なのは成果であり、そのためには成果に至るプロセスを自ら仮説、実証していくことだ。徹底的に自身で考え、分からなかった調べ、時に周りの者から聞きまくる。そうして掴んだ成果こそが本物であり、やがてその積み重ねが大いなる自信へと繋がる。そのような人間には評価は後から必ずついてくる。

慣れ

慣れると舐めるは違う。慣れるとは、経験した結果、ある事象を当たり前のこととして受け止めるようになること。一方、舐めるとは、あなどる、軽んずることである。人は物事に慣れない内は、(要領は悪いが)緊張感をもって臨む。しかしながら慣れてくると、ついつい手抜きをしがちである。これは慣れるというより舐めているということである。真の慣れるとは、体になじんで当たり前のことが当たり前のようにできるようになるということ。それが出来ないのは、頭だけで理解している証拠である。

付加価値

(1)付加価値とは、物事を生み出す過程において新たに付け加えられる価値である。売上から、メーカーであれば材料費や外注費を、小売業であれば仕入を差し引いたものである。価値がなければ物は売れず、それを作っている会社の存在価値さえなくなる。人も同様である。(2)人の仕事の価値は、当然のことながら、やっている本人ではなく、依頼者が決める。上司であり、さらにその上のお客様だ。仕事の価値とは、クオリティであり、コスト(所要時間・労務費)であり、スピードである。人よりも正確で、早く、なおかつ依頼者の期待を超える仕事でなければ価値はない。そこにこそ付加価値アップの要因がある。一方、本当にそれだけのコストをかけてまでやる仕事か?といった時に初めてゼロベースで仕事の価値を再評価できる。それこそが業務改善の本質である。(3)いずれにせよ、物やサービス、人、仕事、会社、それぞれが世の中からより高い価値を見出してもらうことができるかどうか、あるいは業務改善等によってコストを抑えられるかどうか、ブルーカラー、ホワイトカラー問わず、グローバルな付加価値づくり合戦の始まりである。

性悪説

厳しい時代の幕開けである。厳しい時代だからこそ企業においては部下に、家庭においては子供に対して自然に厳しくなるというもの。ところでそもそも私は「人間と言うものは何もなければ怠けようとする動物である」という考えをもっている。だからこそ道徳や規則が必要だとも思っている。何もなければ堕落すべきであろう人間が世の中で経験をつみ、理性をもって物事を判断できるまでに成長する。まさしく人の善の行為は後天的習得によってのみ可能とする性悪説の考え方である。厳しく言わなければ部下は動こうとしないと思うのか、作業環境さえ用意すれば自発的に人はやる気を出すと思うのか?現実的には、前者のケースが多いのではないだろうか。何度、同じことを言わせるのか!一向に指示待ちの姿勢が変わらない。そういったことを経営スタッフから耳にすることが実に多いことか。もちろん、事細かに観察すれば人の成熟段階によって多少なりとも前者から後者へと移行していくということは理解できるのだが。

ゼロでない限り

ゼロとは全くないことを意味する。インドで生まれたこの概念は、今や世の中に数多く存在する。しかし当然のことながら人の能力に関しては、このゼロという概念はない。むしろ人の能力にはさほど差がないとも言える。確かに能力のある者はそうではない者に比べて頭の回転が速い、仕事の処理も早いだろう。ところが全く能力がない、可能性がゼロでない限り、後は確立論なのである。成果実現の確率、つまり時間効率の問題である。倍の時間があれば誰だって成果を上げることはできる。自分には能力がないと嘆くならば、能力のある者の倍の時間をかければいい。倍の努力をするだけだ。それを惜しんでいるばかりでは人は成長しない。