思考

思考する技術が今のような時代にこそ求められる。確かに今の時代、辞書で調べなくてもネットでキーワードを叩けば答えが容易に見つかる。昔は、考えて考えて考え抜いて答えを導き出していたものだ。一つ一つの言葉の意味も全て辞書で調べていた。
時に自らの主張を実証するために数多くのエビデンスや事例をテレビや新聞、雑誌、その他報道記事等から情報を集めまくった。ところが今はどうだろう。力点は考える技術よりも検索する技術、手軽に情報収集する技術にある。その結果、人はいとも簡単に答えを出そうとしがちだ。
もっと考え抜いた答えはないのだろうか。これではあまりに表面的でコピー&ペースト、つまり他人の説の受け売りではないか。貴方が自ら導き出した答えが何一つない。
私はもっと貴方自身の考えを知りたい。

データ

データには二種類あり、自ら集めたプライマリーデータと他人が集めたセカンダリーデータがある。それぞれに価値はあるのだが、後者のカットアンドペーストの記事がやたら目につく。一般的に手を使っても足を使ってないデータや記事は興味を沸かせ、新たな気づきを与えてくれないことが多い。多くが周知の事実なのである。さらに母数が過少なデータにも困ったものだ。例えば政党支持率などである。わずか1000件程度で情勢や変化は推し測れないのではないだろうか?少なくとも一喜一憂すべきデータではない

数値感覚

物事を表現するのには、定性と定量がある。「徹底的にコストダウンを推進する」は定性的表現であり、「30%のコストダウンを推進する」は定量的表現である。より客観的に物事を捉えるためには、後者のごとく数値でおさえることが不可欠と言えよう。仕事上、よく経営者から「今、世の中の景気はどうなんですか」などと聞かれるが、数値を伴わなければ”ぼちぼちでんなー”的な曖昧な回答になってしまう。景気であれば動向指数や日銀短観、タクシードライバーから聞いた最近の実車率や水揚げ高、飲食店で聞いた平均客単価、メーカーであれば操業率、市況変動の価格への転嫁率、歩留率などその気になればいくらでも数値は収集可能である。しかしながらウォッチする意識がなければ自分の頭を素通りしてしまう。日常の中で意識して収集し、分析・活用してこそ数値感覚は高まるのである。