事実

現代は、新聞、雑誌、テレビ、インターネット、SNSなどと情報過多の時代と言える。それだけに大事なのは何が真実で何が虚偽かということ。たとえ事実でなくても話題に飛びつき、時に虚偽と分かっていても話題を作ろうとするのがマスコミ。惑わされてはいけない。これから我々は、事実を見極める力、仮説から真実を導き出す力を持たなければならない。「〇〇と思います」このような言葉に私はいつも疑ってかかる。思います?それは貴方の思いであって、私が知りたいのは三現主義に基づく事実。どうして「〇〇です」と言い切れないのか。調べて見ると単なる思い込みや人から聞いた不確かな話に基づくことが実に多い。現場を押さえた真実、もしくは限りなく真実と想定しうる、多くの状況証拠を基に我々は正しい判断、行動をすべきだ

リバース

リバースな発想は時にブレイクスルーをもたらせてくれる。人はあることを願うばかりに気持ちが空回りし、うまくいかないことがよくあるものだ。そのような時は、願っていることと反対のことを思ってみることで意外と悩みや迷いから脱却するきっかけがつかめる。例えば、生きたいと思うなら一度、死を覚悟してみてはどうか。死を覚悟し、自分なき死後の世界を思い描き続けることで、以前にも増して今を生きるということに積極的になれることだろう。また、人は生ある時には他人から認められたいと思う。思えば思うほど人は振り向いてくれない。そのような時は、表面ばかりみて簡単に認めてなんか欲しくない、認められるために行動しているわけではないと信じ、自分の正しいと思った行動を取り続けることだ。ある時必ずや多くの人に認められ、評価される時が来るだろう。

結果とプロセス

プロセスとは、物事が進行していく一連の道筋であり、それらを通して結果が生み出される。例えば、業績そのものは結果であり、そのための一連の取り組みがプロセスである。業績が良い悪いだけで評価するのではなく、良い結果を生み出すプロセスをいかに組み立てるか、といった発想にこそ価値がある。その意味からすれば、結果論は、全く無益な議論となる。一般的な営業を例にして考えてみよう。受注するためには、ターゲットの選定→初回アプローチ→プレゼン→クロージング→アフターフォローというプロセスをより効果的に進めていくことが重要と言える。結果だけを求めるマネージャーでは全く意味がなく、自ら指導力の無さをさらけ出しているようなものである。とは言え、一方で過度のプロセス重視も考えものである。「プロセスは大事だが、結果はもっと大事。それこそが業績責任」という声も無視は出来ないからである。

数値感覚

物事を表現するのには、定性と定量がある。「徹底的にコストダウンを推進する」は定性的表現であり、「30%のコストダウンを推進する」は定量的表現である。より客観的に物事を捉えるためには、後者のごとく数値でおさえることが不可欠と言えよう。仕事上、よく経営者から「今、世の中の景気はどうなんですか」などと聞かれるが、数値を伴わなければ”ぼちぼちでんなー”的な曖昧な回答になってしまう。景気であれば動向指数や日銀短観、タクシードライバーから聞いた最近の実車率や水揚げ高、飲食店で聞いた平均客単価、メーカーであれば操業率、市況変動の価格への転嫁率、歩留率などその気になればいくらでも数値は収集可能である。しかしながらウォッチする意識がなければ自分の頭を素通りしてしまう。日常の中で意識して収集し、分析・活用してこそ数値感覚は高まるのである。

論理的思考

論理的思考とは、”自分はこう思う”という判断に対し、”なぜならば”という論拠であり、それらが整然と関連づけられることでストーリー性が生まれる。私自身、常々実践していることが2つある。1つは常に「どういう意図だろうか(目的意識)」「なぜそうなっているのか(問題意識)」、「どうすればよいか(改善意識)」という視点から物事を考察することであり、もう一つは数値で実態を掴むことである。仕事上、よく経営者から「景気はどうなるのでしょうか」、「我が社をどう思われますか」などと聞かれるが、数値を伴わなければ”ぼちぼちでんなー”的な曖昧な回答になってしまう。景気であれば動向指数や日銀短観、タクシードライバーから聞いた最近の実車率や水揚げ高、飲食店で聞いた平均客単価、メーカーであれば操業率、市況変動の価格への転嫁率、歩留率などその気になればいくらでも収集可能である。数値はウォッチする意識がなければ自分の頭を素通りしてしまう。意識して収集し、分析・活用してこそ数値感覚は高まるのではないだろうか。